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2020年3月28日 (土)

松尾山登山と、笹尾山(石田三成陣跡・交流館)

3月28日(土曜日)

今日は天気が良くないので、関ヶ原町にある松尾山(まつおやま)293mです。

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登山口の駐車場から40~50分で登れて、山頂からの眺めが良い山です。

登山道は砂利道で歩きやすく、頂上にはトイレもありハイキングには適した山でした。

松尾山は関ヶ原の戦いで小早川秀秋(こばやかわひではる)が陣を構えた山です。

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▲松尾山城(長亭軒)史 

1400年頃に小守護富島氏が城を築き、1569年織田信長に帰属、1570年浅井長政修築

1579年廃城、1600年小早川秀秋の陣所とする。(小早川陣は関ヶ原の戦いの前日に来ています)

関ヶ原の戦いの話

この松尾山から、東軍(徳川家康)と西軍(石田三成)の配置が一望出来る場所です。

小早川秀秋が西軍から東軍に寝返った事で戦況が一変し東軍が勝ちました。

小早川秀秋と徳川家康との密約があったが、小早川秀秋は直ぐには参戦せず様子を観ていました。

迷っていたか、優勢な軍に参戦しよう!と思っていたのか?

小早川秀秋は豊臣秀吉の親戚なので裏切るとは、西軍陣は思っていなかった。

世間は正統性(道理)や正統性(血筋)を大切にしています。

合戦中に理由はともあれ、裏切った卑劣な行為と世間から馬鹿にされています。

明智光秀が織田信長を討った「本能寺の変」も正当性(道理)があったか分っていない。

小早川秀秋は関ヶ原の戦いからわずか2年後に亡くなっています。(享年21歳)

歴史は諸説あり、真実は分らないです。

石田三成のやり方に小早川秀秋の不満が溜まっていた時に、徳川家康が小早川秀秋を上手く利用したのでしょうね。

石田三成は才能には優れていたが、統率力や裏工作に関しては徳川家康が上でしたね。

説明はこれくらいで、登山の写真です。

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▲登山口の駐車場です。5,6台しか停めれません

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▲整備された遊歩道です

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▲ショウジョバカマ

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▲アセビ

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▲山頂手前

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▲松尾山山頂

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▲山頂からの眺め     次に行く笹尾山・石田三成陣跡が見えます

ここから小早川秀秋は戦いに手を出さず観ていた。

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▲西軍!東軍!  あなただったら どっち?

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▲公衆トイレ

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▲駐車場に戻りました。 途中で1家族が登って来た。

次に笹尾山・石田三成陣跡へ寄ることにした。

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▲石田三成の家紋は「大一大万大吉」(だいいちだいまんだいきち)

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▲笹尾山交流館で甲冑(かっちゅう)がレンタルできる。

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▲松尾山の小早川秀秋軍が、なぜ動かないか石田三成はイライラしていたと思う。

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▲ロッカーの表に家紋が書いてあり、中に読み方と誰の家紋か説明があります。

この建物は、小学校の廃校後の施設です。

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▲レンタルできる甲冑。

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▲本物の甲冑

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▲甲冑を身につければ、気分は武士になったようで気持ち良いだろうな。

 

追記  3月29日の中日新聞  早く新型コロナウィルスが終息してほしい

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