呉枯ノ峰(くれかれのみね)と賤ヶ岳(しずがたけ)
6月28日(土曜日)
メンバーは3人(松井さん、安藤さん、私)
なべさんは、初めは「行く」とメールがあったが、前夜「自信がないのでやめます」
とメールがあった。(残念です)
坂さんは、週初めに手に通風の痛みが出た。尿酸値はそんなに高くは
なかったそうだ。
数日前まで土曜日は曇り・雨の予報だった。朝5時頃は小雨が降っていたので、
中止になるかもと思いつつ、松井さん宅に向かった。
予定では天吉寺山(てんきちじやま)918mでしたが、その近くで
低い山に行くことにした。それが呉枯ノ峰(くれかれのみね)532mです。
聞いたことがない山で、地図にも載っていない山です。
でも呉枯ノ峰は、新・分県登山ガイド「滋賀県の山」に載っています。
▲コースタイム 墓地から呉枯ノ峰の往復です。
羽島6:00 ~墓地の駐車場7:34~ 8:48呉枯ノ峰9:08~10:00墓地の駐車場
▲墓地の駐車場に停めさしてもらう。墓地に猿が群れでいた。
お供えものを狙っているのだろうか? 墓石は、・・家の墓の文字がなく
殆ど「先祖代々墓」か「南無阿弥陀仏」でした。
▲正面の右が登山口です。
▲道標には呉枯ノ峰の字がないので、半信半疑で進んだ。
▲登山道は枯葉が一杯落ちています。
▲頂上に着いた。
▲集合写真 山を下り、あねがわ温泉で昼食の予定だったが、
安藤さんが、「まだ早いので余呉湖を歩いてみたい」とのことで、
松井さんが、賤ヶ岳をリフトのある方から歩くことにした。
▲山から下りた。賤ヶ岳のリフト場をカーナビに入れ、向かった。
途中、木之本の街を通ったら観光客が多い。
NHK軍師官兵衛の黒田家の先祖がここにあるそうだ。
黒田氏の出自がどこかには諸説あり、議論の種になっている。
しかし近世福岡藩主となった黒田氏の子孫が認めたのが、
近江国伊香郡黒田村(長浜市木之本町黒田)なのだ。
リフト乗り場の駐車場
▲登山口はリフト乗り場のとなり
▲この道は、読売新聞社の「遊歩百選」のひとつになっています。
▲リフトは利用者がいない時は、止まります。今は動いていません。
▲体力に自信がない人は、リフトを利用した方がいいです。
下りたら頂上でないです。頂上まで300mの歩きがあります。
料金は往復780円です。
▲頂上に向かう途中、びわ湖が見える絶景ポイントがあります。
▲頂上のびわ湖が見える場所
▲びわ湖
▲賤ヶ岳頂上
▲NHK 江(ごう) 笑っちゃいますね( ´艸`)プププ
▲小谷山方面
▲余呉湖
▲ボランティアで歴史を説明してくれる人。
話好きで言葉が湯水のように出てくる。
地図をバックに棒で指して説明してもらえるので、歴史に興味がある人は
話を聞くのは最高の勉強になると思います。
棒を持った人はまるで、七本槍の一人のようだ。きっと先祖なのだろう。
「賤ヶ岳の戦い」を私なりの考えで書いてみました。
本能寺の変で織田信長が倒れた後、明智光秀を討ち実質的な主導権を
握っていた豊臣秀吉と、織田家の旧臣中第一の家柄を誇る柴田勝家との
間で権力争いが生じ、ついに武力をもって決着を付けようとしました。
これが俗にいう「賤ヶ岳の合戦」です。
柴田軍が敗戦した理由は色々あると思うが、
茂山にいた前田利家が戦線離脱ことが大きいのでは!
天下分け目の「関ヶ原の戦い」があるが、「賤ヶ岳の戦い」も天下分け目の
戦いだと思う。戦力は柴田軍が勝り、織田家血筋からも柴田軍が有利だ。
戦いの前に、水面下で行われた駆け引きが戦果を決めたのだろう。
豊臣秀吉が戦いに勝てたのは、智略で優っているいたのだと思う。
・
山を下り、あねがわ温泉向かい、初めに風呂に入った。(いいお湯でした)
食事は松井さんが会員なので安かった。
▲あねがわ温泉の食堂 気まぐれ定食を3人頼んだ。
▲ごはんもおかずも美味しかった。
ごはんがお替わりがが出来たので、松井さんと私はお替わりをした。
おいしい水の田んぼのお米は美味しいな。
羽島のお米も美味しいがそれ以上かも!
ここの風呂もお勧めです。http://www.mau.co.jp/onsen/sub/onsen_01.html
2013.9.14 賤ヶ岳のブログがあります。http://cocorohareta.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-4280.html
羽島に帰り、松井さんが作った野菜(きゅうり・とまと・なす)を貰った。
何時もありがとうございます。
7月の第2土曜日登山は、坂さん・なべさんの参加を待っています。
| コメント (0)
最近のコメント